備後絣の着物
先日、教会倉庫から備後絣の着物と前掛けが20着以上出てきた。
新市町や芦田町は備後絣の産地であり昭和の最盛期には200社あまりで年約300万反製造された。現在ではわずか1.2社が製造している。
その絣の全盛期頃に作られたのが備後絣音頭である。
実は、金光教新市教会でも備後絣音頭が何度か奉納されたことが伝わっており、その頃の備後絣音頭の着物であると思われる。着物は大人用と子供用があった。
私が生まれた後には一度も奉納が無かったため30年以上しまっていたので虫食いが心配されたが、この備後絣は虫食いに強く二着ほど出してみたが、虫食いはみられなかった。備後絣音頭の歌詞にあるように、備後絣の品の良さが証明された瞬間であった。
備後絣音頭については私が小学生の時には高学年全員が運動会で必ず踊るため、昔から在住の方なら踊ったことがあるのではないでしょうか。
備後絣の着物は貴重となってきているため、今後どのように活用させていただくか考えていきたい。
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